今晩小雨が降っている時、ベッドに横になって少し休んだ。その間、何もせずにただ何かを考えようとしたが、今は当時の考えを忘れてしまったのか、何も考えずにただぼんやりしているのか、それとも以前考えたことをただ繰り返しているのか、どちらであっても、今は私にとってその時間は記憶の空白だ。
過去を振り返ると、私の人生には大小さまざまな空白がたくさんある。数時間のものもあれば、数ヶ月のものもあり、時には 1 年にも及ぶ。このような空白は断続的に増え、広がっている。生活が停滞しても、忘れることによってますます増えていくのだ。
人の生活は外的な経験と内的な活動から成り立っている。私の外的な経験はそのままだが、内的な活動はどこにあるのだろう?言えるのは、私の内なる世界は常に何かしらの出来事や経験をしているということだ。しかし、私は最近の内的な出来事しか覚えていない。もう少し遠い過去になると、欠けたりぼんやりとした印象しか残っていない。私の内なる世界はまるで流れ星のように、出来事が絶えず起こり、経験をして、一時的な記憶の尾を引きながら、目的もなく前に進んでいる。
外的なものであれ内的なものであれ、私の生活の大部分は空白で構成されている。